夏季休暇を利用して、九州国立博物館に行ってきました
特に印象深かったのが
倭国と高句麗そして百済や新羅との関係性が書かれている高句麗好太王碑の拓本です(現物は右写真です 場所は、現在中国吉林省になります)
実際拓本を観て、想像以上に大きな石碑なんだ ということと
当時の高句麗の文化の先進性と見事な漢字を使った石碑だったことに驚きました
内容は、高句麗の王の業績を賞賛する内容ですので、倭国側から見た歴史観ではありません
しかし、倭国側の歴史は、古事記と日本書紀から始まる歴史なので
高句麗と倭国の爭い事の詳細はつかめないというジレンマがあります
後に白村江の戦で倭国は大敗し、百済は滅亡
倭国は、大野城と水城を整備して防衛に努めたという歴史認識となっていると思います
私の住んでる東近江市の近くには、当時の渡来系氏族の氏寺だった百済寺があります
残念ながら正確な記録はないのですが、百済という寺名からと、後に聖徳太子と高句麗の僧が協力して寺を建てたということからも
百済の難民が滋賀の地まで逃れてきてのかなと、つい想像してしまうような
歴史のロマンを感じることのできる碑文でした
いつか吉林省の実物を観に行きたいと思う昨今です。
佐々木